大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

鹿児島家庭裁判所 昭和51年(少ハ)1号 決定

少年 Y・T(昭三一・一・一五生)

主文

本人を昭和五一年六月三日から同五二年一二月二日まで(一八ヵ月)中津少年学院に継続して収容する。

理由

1  本件申請の要旨

現在中津少年学院に在院中の本人については、昭和五一年六月二日をもつて、少年院法一一条一項但書に基づいて継続されてきた収容期間が満了となるところ、同年四月一日現在累進処遇の段階が二級上(A)に止まり、今後順調に経過したとしても、同学院所定の退院条件(処遇の最高段階である一級上(A)に進級して当学院の全教育課程を修了すること)を満たし得ず、再非行のおそれもあるので、引き続き同学院で規律ある教育訓練を施し、社会適応性を高めると同時に、その間家庭の受入態勢につき整備を図ることとし、そのための教育及び調整期間として出院後も六ヵ月程度の保護観察下におく必要がある。そこで、収容期間一二ヵ月、保護観察期間六ヵ月、あわせて引き続き一八ヵ月間収容を継続する必要がある。

2  当裁判所の判断

本人は六歳頃日本脳炎に罹患し、その後遺症として痴愚症状にある。すなわち、知能は痴愚域の精神薄弱(興奮型)であり、精神年令はほぼ七、八歳に相当する。そのため是非弁別の判断能力に欠け、昭和五〇年六月三日鹿児島家庭裁判所において、放火(自宅に放火し、他家にも類焼)非行事件により中等少年院送致決定がなされ、精神薄弱者の矯正教育を目的とする中津少年学院に入院するに至つたものである。

入院当初見られた興奮状態も稍おさまつた昭和五〇年九月一日付で本人は窯業科に編入され、同科においては作業の性質が本人に適合したこと、同科が養護的な少年をもつて編成されていることなどが情緒面の緊張を和らげる方向に作用し、本人はすぐ適応し、畏縮することなく、以前に比較して明るさも出てくるようになつたが、実科成績は最下位である。

寮内生活においても、未だ善悪の判断能力に乏しく小児的な振舞が目立つようである。

又、学科面の進歩は遅々として進まず、国語は平仮名の文章は読めるが、簡易な作文も良く出来ず、算数は一桁の加減乗除も出来ない。従つて、これが出来るまでにはまだ相当の期間が必要な見込みである。なお、昨年六月六日の初診以来現在まで精神安定剤の投与を受けているが、途中一時(昭和五一年二月頃約一〇日間)担当医の指示により前記薬物の投与を中止したことがあつたが、直ちに気分の高揚、興奮化傾向の増大が顕著になり異常行動が発現したので、再度投薬を開始し現在に至つている。

本人の家庭は、実父母、姉(既婚)、兄の家族構成であるが、父は町内会長、交通安全協会長等の役職にあり、地元では人望もあるようであるが、本人の今後のこととなると目下お手上げの状態で、出院後の就職等についても未調整の状況にある。

以上総合してみると、本人の精神的発達が甚だ未熟であること、最低限度の是非弁別の判断力もまだ充分習得していないこと、受入態勢が未調整であることなどの状況に照らして勘案するとき、このまま退院させてもなお場合によつては再非行に陥るおそれも十分あり、引き続き中津少年学院で規律ある教育訓練を受け、社会適応性を高めると同時に、その間家庭の受入れ態勢につき整備を図ることとし、そのための教育及び調整期間として一二ヵ月、出院後も保護観察のもとで観察官、保護司等の助言、指導が得られるよう配慮することが安定した社会生活を送らせるためにも是非必要であると考えられるので、保護観察期間として六ヵ月、合わせて一八ヵ月間同学院に本人を継続して収容するのが相当である。

よつて、主文のとおり決定する。

(裁判官 大西リヨ子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例